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教授 松下貢
「フラクタルの物理(U)応用編」 コラムより
「寺田寅彦(1878-1935)と複雑系の物理」  2004年
 筆者が初めて寺田寅彦の名を知ったのはいつのころか、はっきりしない。
ただ、いまでも覚えているのは中学生のころの国語の教科書に「蜻蜒(とんぼ)」(随筆集「三斜晶系」の中の一編)という随筆があり、非常に強い印象を受けたことである。
自分の帽子に止まった一匹のとんぼの様子から始まって、電線に止まっているトンボたちの向きの統計解析を行い、結論に至る単純明快な推理と分析は、当時150人そこそこの田舎中学にいて、まだ科学や科学者にそれほど思いを馳せていなかった中学生の筆者にも強い影響を与え始めたことは確かである。
いまから思うと、この随筆は彼の最晩年のものの一つであるが、若々しい好奇心とそれを実行に移す精神力の強さに敬服する。

 寺田寅彦は、誰もが見ていて科学的には見過ごしているような日常の現象に、物理学者としての鋭い分析の目を注ぎ、数々の科学的な成果を挙げてきただけでなく、それを一般の人にもわかるように端正な文章の随筆に書き上げてきた。これは確かであるが、それだけではない。

 物理の主流は何か不思議なことがあると、物にしろ現象にしろ、できるだけ単純な要素にばらばらに分解して、それらのうちの重要と思われる要素を取り出して詳しく分析するという、要素還元主義的な手法をとる。
この伝統的なアプローチは20世紀の終盤ともなると何かと批判されることが多くなったが、寺田寅彦の時代では正統的であり、彼もそのような手法による研究で自分のキャリアをスタートさせた。
その頂点が結晶によるX線回折の実験であろう。
1913年、ラウエの論文に刺激されて東大医学部からX線発生装置を譲り受け、独自のX線回折の研究を行なって、イギリスの雑誌 Nature に発表した。
しかし、それはブラッグ反射の公式とそれを実証する実験で有名なブラッグ父子の発表にわずかに遅れた。そのために研究の先取権は全てブラッグ父子のものとされ、今では日本人でさえ、ブラッグやブラッグ反射は知っていても、そのようなことがあったことを知る人は少ない。

 そのころから寺田は要素還元主義的な手法でできそうな、すなわち方法論的にはいたって単純な、西欧的な科学研究は若い世代に任せ、自分では以前から興味を持っていて研究もしていた、気象や地震などの広く地球物理的な研究に深くかかわっていった。
これらは現在では「複雑系の科学」の典型例とみなされ、単純な要素に分解したところで、何の理解も得られないであろうと考えられている。
すなわち、寺田は自然界には西欧科学的な要素還元主義的な手法では捉えることのできない、しかし、科学的には依然として非常に興味深くかつ重要な複雑現象が多々あることをはっきりと認識し、それらの科学的な理解に傾注するようになっていったのである。

 彼の興味の範囲は非常に広く、日常的な現象にかかわるものだけを取り上げても、線香花火、リヒテンベルク図形のような沿面放電、金平糖の角(つの)のでき方、雪などの樹枝状結晶の成長、椿など花弁の落ち方、藤の実など乾燥した種の散らばり方、砂の流れ、河川の分岐、固体の割れ目、貝の模様や動物の縞模様など、枚挙に暇がない。
そしてそれらの研究を通じての彼の思索の結果は美しい文章の随筆として一般の読者の目にも触れることになった。
この点の重要性についてはどれだけ強調しても、し過ぎることはない。
なぜなら、彼の随筆を読もうとしない大人は問題外として、
子供たちにとって科学するということはまず身近な現象に疑問を持つことから始まるからである。
一杯の茶碗のお湯から始まって、竜巻や季節風に至るまで語る「茶碗の湯」などは、子供たちにとってどんな教科書よりもはるかにすばらしい科学するへのガイドとなるのではないだろうか。

 寺田寅彦の「複雑性の科学」の特徴は、不安定で統計的な現象に注目しているという点ではないかと思われる。
実際、上に挙げたほとんど全ての例について、彼は統計的な解析を行っている。
すなわち、彼は西欧的な要素還元主義の視点では単に複雑なだけと思われがちな現象にも、統計的な手法を適用すれば本質に迫ることができることを直観した。
しかし、彼がこの視点で活躍したのは1915〜35年であり、現代のように電子計算機が一切なかった時代である。
あふれるばかりの好奇心と熱意で弟子たちとともにいろいろと興味深いデータを沢山取ったとしても、データの統計的解析には困難を極めたであろうし、それによって定量的な結論を引き出すことには自ずと限界があったであろう。
そのために、定量性を金科玉条にする主流派物理学者を説得することが非常に困難だったであろうことは想像に難くない。
ちょっとうがった見方に過ぎるかもしれないが、このことが一層寺田をすばらしい随筆の執筆に駆り立てたのかもしれない。

 寺田寅彦のこのような研究は「寺田物理学」と呼ばれ、時には複雑な現象に注目しているというだけで、批判的に見られてきたようである。
還元主義的手法しか眼中にない一部の科学者たちからは前近代的とさえ言われたこともあるという。
しかし、このような傾向は1970年代、寺田の死後40年近くしてすっかり様変わりする。
非線形非平衡開放系の熱統計物理、カオス、フラクタル、より広く非線形物理学が研究されるようになり、それを基礎にして本格的に複雑な現象が注目されるようになったためである。
結果としての現象が複雑だからといって、その原因も複雑だとは限らない。
こんなことに気付くのに、寺田の死後40年もかかったのである。
これは一つには、従来のほとんどの物理分野では要素還元主義的な手法で(あるいは、そんなことさえ意識することなく)研究を進めることができるが、複雑系の科学では方法論そのものからスタートしなければならないという面があるからであろう。

 現在では、「複雑系」とは必ずしも同一ではない要素が多数集まって複雑に絡み合っており、非線形的に相互作用していながらまとまっているような系をいう。
このような系では、要素間の複雑な相互作用とその非線形性のために、局所的な相互作用の形や構成要素の個性だけからは予測できない多様な特性が自己組織的に発現したり、系内のごく些細な出来事が系全体にわたるほどの大きな変動に発展する可能性がある(自己組織化、創発、恐慌)。
典型的な例は脳を初めとする生物の組織や生態系などであるが、地球科学がカバーするすべての現象、地球環境そのものあるいはその中にあって経済・政治活動を営む人間の社会も含まれる。
このように見ると、寺田寅彦が注目していたのはまさしく「複雑系」そのものであることがわかるであろう。
彼の思索の産物である随筆には、カオス・フラクタル・非線形物理やそれらの発展・延長線上にある「複雑系の物理」の視点からは、汲めども尽きない魅力が秘められている。



松下 貢


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